雑感「ネタバレ書評考」について

感想にしろ、書評にしろ、ある程度内容に触れることはあるわけで。トリックの説明だの真相の暴露だのをしなければ、ネタバレには繋がらないと思ってたりする。
書評も感想もネットという不特定多数に向けて公表しているもの(ま、ネットに限ったことではなく、雑誌などに掲載されているもの、不特定多数の目にとまるものは全て対象なのだが)は、基本一方通行だと思っている。対話型としては成り立たないと思うのだ。特定の人に対して語りかけたり、問いかけをしているものではないから。その作品に対しての同じ価値観、または全く正反対の価値観を語り合いたいのであれば、メールなりオフ会なり特定の掲示板で直接やりとりをすれば済むことではないだろうか。少なくとも、私は不特定多数に向けて感想を発信していると認識している。

では、ネタバレしている書評はどうなのか。
無意識もしくは故意に隠したり、警句を発したりせずにネタバレをしているのもは、たしかに絶賛していても、作品と作者に対する妨害と冒涜だろう。言語道断なわけですよ。
でも、「警句」を発していることで、読み手はネタバレを回避することもできるし、ネタバレを承知で読むこともできる。ようは読み手側の責任になってくるのだと思う。ネタバレ部分が気になって仕方がないのなら、その作品を読めばいいわけだ。書評を書いている人間に落ち度はないのではないだろうか。「警句付きネタバレ書評をやめて欲しい」と言うのは、わがまま以外なにものでもないと私は思うのである。
「警句」を発していると言うことは、書評を書いた方は、一方通行で情報が流れることを考慮して、できる限り情報の流出を防ごうとする努力をしているのだ。それを非難するのは的外れな気がするのだ。

ネタバレをしなければ、その作品の素晴らしさを伝えきることができないと思った、書き手の苦肉の策が「警句」となって現れているのだろう。
ただ、書き手側も、不特定多数の中には「警句付きネタバレ書評をやめて欲しい」と感じている人もいるということを、意識しておかなければならないのだろう。